朝から雪が降っていて、どうなることやら?と思っていたら、8時には止んでいましたね。
今日はローソン新港店での追加撮影です。
僕の家からは、梅田川沿いをずっと走っていけば着いてしまうので、何とかなるだろう〜で相変わらず自転車で出かけました。
撮影はカット写真数枚なので、ここでは使わなかった写真を紹介。
こちらでは、うどんやそばも茹でて提供しているんですね。コンビニでうどんを注文なんて初めてです。
ダシが、昆布が強いのかな?ちょっと関東とは違う味付けだな〜と思いながら頂きました。
美味しかったです。自転車こいで来たので、ちょうど小腹も減っていたんですよね。
そして。。。ここまで来たのだから、海岸の方をまわってみようかと。
震災から11ヶ月も経っているけど、実は僕は、津波で壊滅したあたりには、足を踏み入れたことはありませんでした。
そりゃ〜震災直後には、スコップ担いでチャリンコで、45号線を西へ西へ。ガレキ片付け手伝いに行ったことはありますよ。でも、片付ければすむ地区と、全くそうで無い場所があるのは理解しているので、海沿いには簡単には入れないなぁ〜と思っていました。
特に僕は、大学で写真も学んでいたので、写真なんか、かんたんに撮れません。
でも、吉村昭の「羆嵐 」って本に、こんな一節があるんですよね。
人食いグマを退治したあと、熊を倒した老猟師が村の人に諭すんです。「ここで、倒した熊を皆で食べることが、死んだ者への本当の供養になるのだ。」
僕も東北に移住したのだから、さすがに去年は海水浴には行ける状態ではなかったけど、今年からは元のように海に接していきたい。子供たちも海に連れて行って、被害の実態を理解してもらいつつ、僕達の地域の運命を受け入れるべきなんでは。なんて思ってました。
その一節を思い出した時に、なんだか遠〜くから繋がる縁を感じました。
なので、チョットだけ立ち寄らせてもらいましたが、事業用の建物と、基礎ぐらいしか撮れません。
でも、この基礎と家の建材を結んでいたネジには、言葉に置き換えられない、大きなメッセージがあります。
※奇しくも羆嵐を著した吉村昭は、三陸海岸大津波を書きましたね。
遠目に、この樹々が見えたので、ちょっと惹かれてやってきました。
そうしたら、ここは高砂神社の跡だったんですね。
それまで風にたなびいていた「復興祈願」の旗が、僕がレンズを28mmから180mmへ変える間だけは、じっと待っててくれました。
遠目に写真は撮るけど。。。神社の敷地内には入れなかったな。。。
やはりここは、人様の土地です。
学校は、再開するのを待っているのか?それとも地区ごと内陸に移るのか?
同じ地震を体験したけど、ここでの出来事は全く別次元です。
川岸には、蒲ではなくススキが茂ってます。
帰りに、建材を積んだトラックとすれ違いました。
もう。何も書けないですね。