「四ツ谷用水」をたどろう」の会に参加しました。こんどは地盤の話が多いよ〜。

やぁ。台風一過とはこのこと。
週末に大荒れになった天気は一転、ここのところ日中はお天気が続いています。
この好天の、ちょっと風も秋を感じる今日は、昨年も参加しました「杜の都を潤した水の道「四ツ谷用水」をたどろう」の会に参加です。
内容は昨年とほとんど同じ。ってことは、レポートも同じになるのかなぁ?
いやいや二回目になると、さすがに深く突っ込んで聞いてみたくなるもの。では、レポート開始です。


まずは仙台・水の文化史研究会の会長 柴田さんからご挨拶です。
「皆さんに今日歩いてもらうのは、かつて仙台市内を潤していました四ツ谷用水の本流7.2キロメートルのうちの、現在でも当時の姿が偲ばれる2キロメートルです。この区間は街中へと分流するとても重要な部分でした。」


こちらは八幡神社の太鼓橋の真下を流れる四ツ谷用水。
用水の流れについては昨年の記事に書いてありますが、葛岡から少し市内に戻った郷六の堤で取水した四ツ谷用水は、延々と東に流れて梅田川に注ぐのですね。それまでに幾つもの支流を持ちまして、総延長は40キロメートルにもなります。
広瀬川の長さも40キロメートルほどなので「もうひとつの広瀬川」と呼ばれる所以なのです。


では、少し街を歩きましょう。
八幡神社のすぐ脇。龍宝寺の入口まで来ました。四ツ谷用水はここから坂道を登ったところを流れています。
「え?水が坂の上を流れている?」
そうなんです。総延長7.2キロの標高差はおおよそ26メートル。この僅かな傾斜を維持するために、用水は河岸段丘に添う形で作られました。


現在の仙台の街は広瀬川の水面より高い場所にあります。ですが太古の広瀬川は愛子方面から現在の市内に向けてとうとうと流れ、扇状地を作りあげていたそうです。
この、山から運ばれてきた土や礫が積み重なって出来た仙台の土地の特徴が、後々の市内の取水環境に大きく影響を及ぼしましたが、それはレポートの終盤以降に。
写真は、河岸段丘の斜面を流れる用水のあと。(現在は蓋がされて、工業用水の水路となっています。)


山から流れた砂礫は積み重なり、そののちに広瀬川が蛇行しながら削っていったから、谷間が“段々”となっている訳です。
だから、現在の国道48号は、川が削って出来た低地なのですね。(写真は解りにくいけど。。。。ちょっと坂道)
だけど、広瀬川はもっともっと削ってしまって、ず〜〜〜っと谷の下の方にある。だから仙台市内はかつては水のない台地だったのです。


ちなみに。。。関係ないけど、この地点に国土地理院の水準点がありました。ここから高さなどを測っているのかなぁ?
この仙台の台地の地面は、表層に2メートルの土。その下に4〜8メートルの礫の層が積み重なっており、その下は水を通しにくい地盤です。
この、4〜8メートルもの礫層は、30%ものスキマを持っていまして、かつて山から運ばれてきた土砂なのですね。


さて。この用水あと探検でも、もっとも水の流れた跡を感じられる区間にやってきました。
場所はこの辺。
ここからは用水の跡を歩くことができます。


現在の四ツ谷用水は、この水路用の蓋の下を流れています。
水路の大きさは、概ね幅が1.2メートルで、深さが1メートル。工業用水としては日量10万トンの取水ができるそうですが、現在は4万トンほどを流しているそうです。
ちょっと耳をすますと。。。。ざ〜っと水の流れる音がするんですよね。


この水路の傾斜は、全体を通すと平均3.5‰(パーミル)の勾配を持っているとのこと。どれくらいかというと、1メートル進む間に3.5ミリほど下がるそうで、この数値は川の中の構造物を壊すほどでもなく、それでいて留まるほどでもなく。毎秒1メートルぐらいの流速で流れる現在の土木技術でもちょうど良い斜度だそうです。
当時の人達は経験的にこの数値を知っていたとは。。。素晴らしいかぎりだそうです。


ここのアパートは。。。昨年もちょっと注目しました。
2階に直接渡れる斜路。スーパーカブ。なんだかいい雰囲気なんですよね。


水路沿いに歩いていると子供が遊んでいたり、自転車で往来する人がいたりと、ちょっといい雰囲気でした。
でも、それもここでオシマイ。
水路はこのままヨソのお宅の敷地へ。僕らは階段を下ります。


階段を下りきると瀬田谷不動尊の前に出ました。ここは仙台城築城のために全国から石工さんが集められた場所で、その石工さんが祝いの席で踊ったのが「雀踊り」な訳なんですね。


瀬田谷不動尊のチョイ脇には、もちろん石屋さんがあります。
その石屋さんの脇にあるのは「へくり沢」
国見方面から仙台城下へ向かって流れていた沢の跡です。


いまでは水の流れが見えない谷にかかる橋。橋の跡と呼ぶべきでしょうか?道路の脇に欄干だけが残り、「いしきりばし」と読めます。


この先、春日神社の入口の脇には、当時のへくり沢周辺を描いた絵(複写)が飾られています。
へくり沢は、深さも水量もそれなりにあったのですが、さすがに仙台市に移住した5万人もの人を養うほどの水量はありませんでした。
ですが当時の絵を見ると、なかなか豊かな自然も残っていたようです。


ちなみにこの絵は、90歳を超えて、今も矍鑠とされている近隣の今野喜一さんが当時の様子を思い出されて描かれたものだそうです。


では。春日神社に登ってみましょう。
境内は子供たちが遊べる広場になってまして、そのすぐ下に用水は流れています。


確かに。。。昔は神社の境内は子供が集う場所で、僕も友達とよく遊んでたものです。(練馬の話だけどね)
でも、こんな看板があるところをみると、今の子も、ここに集まるのかなぁ?


春日神社から、ちょっと戻ってへくり沢の上流部分。石屋さんの裏側に来ました。
ここはちょっと深い谷間になってますね。今では下水管が埋められていますが、水の流れる音が響きます。


さてさて。春日神社の手前からは、またもや暗渠の上を歩くことができます。
左手には河岸段丘の土手が続き、右手は市内へ向かう斜面に用水は沿って流れます。
そして、こちらは四ツ谷用水に降りて洗い物をした階段の跡。
へぇ〜。用水の水は暮らしに密着して使われていたのだなぁ〜。って、以前は納得していました。
ところが、四ツ谷用水が最も活躍した江戸時代には、用水の水はとても大切な水資源として仙台藩に厳重に管理されていて、洗い物などもってのほかだったそうです。っということは、この階段は明治〜昭和の頃に出来たものだそうで、やっぱり時代の移り変わりを感じますね。


ちなみにこの通路は人と自転車のみ通行可。
標識があるのが、何か面白いなぁと撮ってみたのでした。


ここからはまた用水はひとさまの敷地に沿って通ってしまうので、道路に出てきました。
この道。。。八幡から東照宮に抜けるかつての用水沿いの道は、昨年の見学会以来、よく使うんですよね。
なにせ水の流れた跡なので、傾斜が自転車にはもってこいなんです。自転車漕がなくても、自然に走ってしまうのです。


林宅寺前の、用水の通路です。
ここも。。。耳をすますと水の音が聞こえるのですよね。
この一帯を上町段丘と呼ぶそうです。広瀬川が運んできた土。それを川が削り直してできた地形なんですね。
他に、仙台近辺には中町段丘、下町段丘、台原段丘と、ぜんぶで4つの段丘があるそうですが。。。。その話はまたまた深そうなので、ちょっと次回になるかな?


そしてこちら。東北大学病院の北側にあります、四ツ谷用水支倉堀の跡です。
ここから意外なことに、水は北に、まさに北山方面に向かうのです。
いままで段丘の側面に沿って用水が流れてきたのだから、ここで水は北方向には流れないような気がしますが、扇のような扇状地の丘の上を人工的に流してきた水路は、高度を保つために丘の一番高いところに沿って、このまま東方向に向かうのですね。


四ツ谷用水の本流は工業用水路として使用されていますが、支流は殆どが埋め立てられ、または下水道に転用されて残っておらず。。。ここは当時の様子を残す貴重な場所だそうです。


支流の跡を記した支柱が立っています。
ここから北山、現在の昭和町方面へ流れ、最後は梅田川に注いだそうです。


さて。支流の掘りを見学したら、今ではすっかり広くなった木町通にやってきました。
本流はこのままさらに東に向かいますが、街中に水を通すためにここから第二支流が木町通を南に向かったそうです。


水の流れって面白いですね。東北大病院の脇に立って木町方面を望みます。やっぱり緩〜い下り坂なのですね。
柴田さん曰く、現代の人は車を使って移動しているのでこうした緩い勾配には気がつかないんです。
でも、歩いてみたり、自転車に乗るとちょっとした変化も感じられますね。


そうなんです!
僕、八幡方面から苦竹の家に帰るには、今ではこの道を使います。なんせず〜〜〜〜っと緩い下り坂だから。
同じように仙台駅のアエルあたりから苦竹に戻る時は、45号を使わず宮城野萩大通りからクリネックスッスタジアム手前を左折して、育英高校の裏を通って宮城野区役所前に出ているんです。
そして地図見てビックリ!それも四ツ谷用水の重要な支流のひとつだったんですね。僕らサイクリストは、知らないうちに忘れられていた四ツ谷用水の残した都市の遺構を、知らず知らずのうちに利用していたのでした。


なんとも。。。水の流れと実生活がこんなにも身近に繋がるとは。驚きでした。
っで、今回の見学会の一行は、ゴール地点の六幽庵へとやってきました。ここはかつての仙台市長の公邸跡です。


ここだけ。この空間だけ。。。自然が豊かですね。
仙台の豊かな自然は、四ツ谷用水に由来する豊富な地下水位が生み出すものでした。
かつての仙台市内は、広瀬川が生み出した礫層に満々と水をたたえており、井戸を掘ると3メートルほどの「つるべ」でも汲める深さに水が流れていたそうです。そうです。地下に流れていたのです。


藩によって厳重に管理された四ツ谷用水は市内の貴重な水資源として利用され、地下にたたえた水の量は、おおよその計算では1500万トンあまりだったと言われます。(1700ha(平地の面積)×3m(水深)×0.3(礫層の保水能力))
この水量が想像できないなと思いましたら。。。。大倉ダムの貯水量は2500万トン。ということは、大倉ダムの半分ぐらいの水が、この台地の下に地下ダムとして存在していたのです。


ですが、それから時代は移り、四ツ谷用水の水はかつてのように配管から地下へ浸透すること無く工業用水として利用されています。空からの降雨も地上がアスファルトで覆われてしまったために、既に地下浸透は大幅に失われてしまい、現在の水位は地上からマイナス6メートルほどだそうです。


っということで、さすがの僕も2回目になると地質の話や水位の話。ずいぶん詳しくなりました。
だけどまだまだ、水の流れるお話しばっかりで、用水の水が城下ではどのように活用されてきたのかが解りません。
次回、11月13日(水)10時~15時の四ツ谷用水をめぐる会の【街中編】では、未知の市内の探索となります。
お楽しみに!

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