四ツ谷用水をめぐるアレコレ。

ここ。狭い通路は。

この狭い通路は。

四ツ谷用水でした。

四ツ谷用水でした。

たまきさんの実家のすぐ側には野火止とか千川とか玉川上水なんて用水路が流れてまして、水路なんて川みたいなもんだなぁ〜って思ってました。
太宰治が入水自殺したのは玉川上水ですね。
あんなにチョロチョロしか流れていない水路と太宰治が全然イメージが結びつかなかったんで、年とってからやっと関連付けができました。っというほどに武蔵野台地の元住人にとっては、用水路というのは当たり前の存在でした。
あって当たり前。流れていて当たり前。だけどあれを人の手で作ったと知った時に驚く訳です。あんなにガッツリ溝掘ったものを、機械を使わずに作ったって!

まぁ、これはこのあいだの貞山運河も同じですけどね〜って書いてアムステルダムの運河も同じだと気がつきました。人間は凄いものだ。

ここ>>



集合
ところで、そんなこんなで四ツ谷堀を見に行きましょうと誘われた時も、名前も初めて聞くし、一体どこに川なんてあったっけな〜?「ふ〜ん。川を観にいくのか。」っと言うぐらいにしか考えていなかったんです。そうです。かなり甘く考えていましたね。


太鼓橋

さぁ集合場所は、仙台は市街の西の外れ。大崎八幡の太鼓橋です。まだこの時点で何も気がついていない、たまきさん。太鼓橋と言われて、周辺に川か何かあったっけ?って考えなかったんですよね。いざとなりゃ、Androidケータイがあれば、近くまで行ってGoogleMapで検索すりゃ何とかなるだろうと考えていたんです。
そしたら!あったんです。橋が。
鎌倉の鶴岡八幡は、神社に入るのにヤケにでっかい橋を渡りました。でもアレは飾りの橋です。あっちとこっちを繋ぐ結界の役割なんですね。
だけど大崎八幡には鳥居をくぐったところに、ほんとうに橋があった!
ちっちゃいけど、橋を越えないと境内に入れないようになっていたんですね。そしてその橋の真下に四ッ谷用水はありました。

ここ>>

さてさて、少しだけお話しはさかのぼりまして、今日の散策は仙台市環境対策課が企画して、「仙台・水の文化史研究会」「『四ツ谷の水を街並に!』市民の会」「仙台リバーズネット・梅田川」「水・環境ネット東北」の4団体さんが共同で運営し案内してくれるものです。市政だよりなどをチェックしていると企画の案内が掲載されているんですけど、今回は15人の募集に対して60名以上の応募があったとか!抽選に当たって、ここに集合されている方は、皆さん強運の持ち主の方であられます。


説明

では!ツアーの出発です。
まずは今回のツアーのガイドを担当される、「仙台・水の文化史研究会」の会長の柴田さんから四ツ谷用水の説明です。
四ツ谷用水に関しては、完全な資料が残っていないので詳しいことは今でも研究者の方が調べているところではありますが、伊達政宗が今の青葉山のすぐ真下に岩出山から家臣や町人あわせて5万人を転居させ、巨大な街を築こうと計画した時、一番の問題点となったのが水だそうです。
仙台城は青葉山からチョロチョロと流れ出ている伏流水があるから良いけれど、今の仙台の街並になる平野は「河岸段丘」の上にある。
水は崖のず〜〜〜っと下にとうとうと流れている広瀬川(水量はたくさんあるのになぁ。)っと、国見方面から流れているへくり沢。他には下流域を流れる梅田川はあるけれど、水を下から持ってくる訳にはいかないということで、どうやって安定した水を市街地まで運んでくるかが大問題でした。


阿部さん

そこで計画を立てたのが家臣の「川村孫兵衛重吉」でした。そのアイデアが斬新です。
市内より少しだけ標高の高い、現在の葛岡周辺で広瀬川から取水し(ここ>>)、狭い渓谷沿い(今の旧48号ですね)を、トンネルで山をくり抜き、沢は木の樋で通して今の八幡まで水を流します。取水口の標高が海抜65メートルで、八幡神社の太鼓橋の標高が59メートルということなので、なんと落差7メートルで2キロ近くを、しかもトンネル掘って木の樋で継いで流してしまったのです。400年前の技術には驚きです!それだけでお話しを聞きにきた甲斐があったというものです。

これ>>

この難工事を請け負ったのが「字津志惣兵衛」という工事奉行さん。夜にロウソクの灯りを使って方位を決め、昼に工事をされたとか。
今の職人さんは、レーザー水平器を使って平面を出し工事をしていますよね。なんと400年前と原理は変わっていないというのが面白い。

仙台・水の文化史研究会監修の地図

仙台・水の文化史研究会監修の地図


国道48号
ではでは、実際にツアーの出発です。でもこの大崎八幡から、こんな水路がどこをどう流れているのやら〜。
基本的に水路はしばらくの間48号に沿って進みます。旧街道の脇に水路はある。でもその水路の配置の場所が絶妙でした。



住宅の裏の水路

民家の脇を抜け。

アパート前

アパートの脇を抜け。(この階段スゴくないですか?昭和文化財って、確かに安っぽいけどある気がする)


ここの右手>>

何故か坂道の下を抜け。



こちらも水路

ここで何か?気がつきませんか???この水路は崖のすぐ側を流れているんです。

今まで見てきた写真は、全て北山丘陵の端っこを抜けているんです。水は流す時に微妙な傾斜をつけなければいけない。四ツ谷水路では、平均して0.35%の傾斜(1000メートルで3.5メートル下る)がついているのですが、その勾配をどの場所でも維持するには、凹んだ場所はかさ上げする必要がある。だけど、丘の側を通してあげれば地形によって蛇行はするだろうけど高さを維持できるのです。仙台の地形を読み切った技術は、驚きです。

石屋さん

橋!

そしてやってきました石切り屋さんの前。
この石切り屋さんたちは、仙台城築城の時に関西方面から転居してきた人の末裔だとか。


地図

橋はこんな感じ

そしてこの、石屋さんの前には「橋」がある。橋???ここはなんと、その昔は「へくり沢」と呼ばれる沢が流れていて、四ツ谷用水は沢をいったん木樋で越えていたんですね。謂わば川と川の交差点なのです。でもこのへくり沢もかなりの水量があったとか、近所の古老は幼少の頃、飛び込んで泳いでいたというので、ほとんど川です。国見中の水がこの「へくり沢」に流れ込んでいたんでしょうけど、さすがに沢なので5万人に供給するには安定性が無かったんでしょうね。

ここ>>


ちなみに、この看板は裏手の春日神社の入口に飾ってあります。
ここ>>

ところで、この交差点、ちょっと変に見えませんか?
48号の裏道にしては、やけに道幅がある。交通量も多い。なんとこちらが旧街道でした。石屋さんは旧街道に面して建っていたんですね。
そして〜四ツ谷用水はとうとうと流れます。

洗い場への階段
さてさて、四ツ谷用水は城下に水を運ぶだけではなく、消防、給水、排水、そして生活用水としての役割もあったんですね。
その名残がここにありました。壁に段々が付いているのは。。。階段のあとです。
用水路ではありますが、水を汲んだり、洗い物をしたりと、様々な用途があったんです。その洗い場のあとが今でも残っているんですね。


場所はこの辺。ちょっと路地に入ります。>>


お寺さんの前

水路は続く

次にやってきたのは、大きなお寺さんですね。林宅寺の入り口付近です。
用水はここでもお寺さんの脇を抜けていきます。その脇にあるこれ、なんでしょう?井戸なんですね。
この井戸は四ツ谷用水とは何の関係もありません。無いようでいて、少し縁があります。
この井戸の水も含めて、仙台市内には5000から6000の井戸があったと言います。明治34年に調べた記録が残っているのですが、6600あまりの井戸があり、その殆どが、人が桶持って直接汲めるほどの浅井戸だったのです。これって何故だったかと言うと、用水から漏れた水が浸透していた可能性がとても高いのだそうです。


井戸!
河岸段丘の上にある平野は、一般的に地面の浅い部分に水を通しやすい礫層が広がっていまして、地表からは見えないのですが、地面の少し下を川がとうとうと広がっているイメージです。
また、用水に広瀬川から水を引きましたが、これらは全て水路のすみずみまで流れたのではなく、20パーセント近くは地下に浸透したそうです。
これは今の水路はコンクリートなので水漏れがほとんどありませんが、当時の水路は石組みで作られていたから、自然に地下に水が浸透したからなんですね。なので、城下の人達は用水の水も利用しましたが、井戸からも豊富な水を利用していました。仙台は隠れた水の都だったのですね。


ここ>>

坂道

続いて水の流れに沿って歩きます。
ここで、ん?って気がついたんですけど水が流れているから、ここの通りって微妙に下っていて歩きやすいんですよね。
この道「北六番丁」は、八幡方面から四ツ谷用水に沿うような形で東照宮方面まで続いています。仙台の地形を良く理解して、継続して水が流れるように水路と道路を配置すると、結果的にこの道が出来上がった訳なのでしょうけど。。。。。これって現代のサイクリストの通り道じゃないですか?
僕んち苦竹方面は、よく考えてみると四ツ谷用水の終点に位置している訳でして、水の市内への入口は八幡にある。サイクリストの苦手なものは2つありまして、「雨」と「坂道」です。ってことは、市内から家に帰る時は48号と45号を継いで走るより楽なのでは!
面白いですよね〜。こんなに時代が便利になったのに、400年前の設計がサイクリストにプラスとなりました。帰りに実際に通ってみると、ほとんど漕いでいないのに渋滞も無く、中江まで来ちゃいましたよ。

この道>>
でも、逆はダメですよ〜。ユルい上り坂を延々と漕ぐことになりますから。

こちらは遺構

トンネルもある

そして一行は東北大学の、48号から見ると裏手までやってきました。
ここにまた四ツ谷用水の遺構があるのですね。ここでは用水は大学の敷地内を通っていたために都市開発の波を受けずにすみました。大学の敷地内にある小さな小川のような遺構が残っています。でも水は流れていません。
四ツ谷用水は今では仙台市の工業用水として利用されているので、暗渠となり人の目に触れることは無くなってしまったのです。
そうやって思うと少々悲しい気もしますが、江戸時代の遺産が延々と受け継がれていると考えれば、また善しですね。

ここ>>


六幽庵


庭園


縁側


カルタ取り

そして今日のイベントの一番最後には、仙台市の茶室「六幽庵」にて、昼食兼、休憩をとりました。
とても静かな庭園です。こんな場所があったんですね。元は仙台市長公舎だったそうです。
こちらの池の水も、もともとは四ツ谷用水の水が引き込まれていたそうですが、工業用水に利用されるようになってからは水道に切り換えられました。庭園は予約無しでも散策ができるそうなので、一度見に行ってみてはいかがでしょうか?


盛り上がりました

っということで、一日を通して歩いてきました「四ツ谷用水遺構を歩いて巡る会」ですが、一番最後にはエコグッズ争奪カルタ取り大会が催されまして、茶室には似合わないほどの盛り上がりを見せました。


アエルの前

オマケ。
現代では四ツ谷用水は大梶の県工業用水管理事務所で簡易処理されたあと、仙台市内や塩釜地区の工場で利用されています。なんと大梶までは当時の水路の道をそのまま使っているとか!400年前の設計の優秀さをあらわしてますね。

四ツ谷用水って僕には全然馴染みがないと思っていましたが、アエルの脇にあった広場の石組み。あれも用水の遺構をイメージして作ったものだったんですね。北山丘陵をまいて市内まで伸びた用水は、多くの支流に分化され市内を南北に流れて仙台城下の町民に利用されました。
そういえば県庁の西側にもモニュメントがあったような。。。
意外に僕たちの身近なところにも、何か残っているかもしれませんね。

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