今年もやってきたよ〜。四ツ谷用水フォーラム!

今年もやってきました!四ツ谷用水フォーラム。
今年も満員で、もりゃ会場のキャパが足りないってことかな?どうしよう?

はじめに、この事業の紹介から。
四ツ谷用水再発見イベント事業の一環。バスツアーや「歩く会」を実施しているんですね。
そして本日の講演。宮城学院女子大学講師の木村浩二さん「城下町仙台の成り立ち〜江戸時代の都市計画〜」の始まりです。

大学の仕事の他に色々な仕事に首を突っ込んでいまして。仙台段差学会といいます。段差と崖の会でで学会です。
仙台の街中の崖や坂を歩く老人の散歩の会みたいなものです。(またそんなことおっしゃる〜)

お城の話を始めますが、私、専門が遺跡の調査なので気がつくと30分もお城だけになってしまうので。なるべくショートカットでいこうと思います。

今、私たちがいるのは青葉山で画面の左の上の方。
青葉城と歌で有名になりましたが、本来は仙台城。仙人の住む高台という意味。
城下に川内とありますが、川の内側は城の方で、城下町は外なんです。
お城を見に行くとしたら、やはり橋を渡ったあたりで車を止めてもらって、土足(クルマ)で殿の城に踏み込むようなことせず、昔の侍になった気持ちで博物館脇から最初の登城路を散策して歩いてもらうと城の見方が大きく変わるかなと思います。

城下町というのは基本お城を守るために周りに展開していくものです。守りを固めるための町割りなんです。
だけど仙台の城下町では全く違うのは位置関係です。広瀬川をお堀に見立ててます。さらに仙台の街にはお城が二つ。それぞれに城下を持っています。

二つ目の城下は長年、全貌がはっきりしなかったのですが。実際に何回も歩いたりして、少しずつ解るようになってきました。
青で囲ってあるのが水堀で、堀の内側に堀を掘った土を盛って土手を作ってあります。6〜7メートルもあって、急な土塁です。城の輪郭が今でもはっきりとわかります。
昭和22年の進駐軍が撮った写真からお城と同じ傾きの地割りを拾った範囲がオレンジの囲みです。

こちらは城下が一番拡大した元禄の頃の町割りです。この様子は政宗公は見ていないです。

最初はこれぐらい(赤いところ)の範囲でした。
八幡の大崎八幡から田町まで。扇を広げたような範囲です。駅より向こうは全くなし。五橋から向こうもなし。

高低差を色をつけるとこうなります。
黄色のところは標高が10メートル。大崎八幡の前では60メートルあります。あいだに崖が3つあります。
2つは河岸段丘の崖。あとひとつは活断層(長町利府断層帯)でズレた崖です。

仙台の街の中には広瀬川が削って作った崖があります。
上町段丘。中町段丘。下町段丘とおおよそ3面あります。

星の場所を紹介します。
一番上は勾当台の崖。人工で作った階段ではありません。
真ん中は一番町と青葉通りのクロスした場所。藤崎のあたりです。
青葉通り側が落差3メートルの崖があります。

今年はちょっと違う。
どう違うって、実際に現場へ行って写真撮ってきました!坂ですね。

坂になっているから、デパートのフロアの青葉通り側に階段がある。

下の星は荒町小学校から愛宕大橋までの落差5メートルの崖。
が次の写真。

馴らしてあって分かり難くなってますが、東北学院大学の敷地内には階段があります。

荒町から河原町に降りるときに、なんていう坂を通りますか?
「石名坂」
あれは断層のずれた崖なのです。

おなじように一高の前の薬師堂の方に向かう坂。2段になっていないですか?あそこには川村孫兵衞の作った孫兵衞堀があったのです。

それがこれ。

江戸時代の風景を後年に描いたものです。
四ツ谷用水が蓋をしない開渠の状態で流れています。

芭蕉の辻に奥州街道。東に一本目で平行するのが東一番丁。奥州街道から数えて東1本目の侍の町ってことです。そこから数えて東二番丁。東三番丁。

東六番丁は、いまの仙台駅で、東七番丁が駅の向こうに残っています。
丁の字は侍の町なんです。七番までは侍の街。その周辺に職人や足軽が住んでいます。

有力な商人は、町の中心に土地を与えられていました。
町の中心に城がないので、改めてセンターポイントを配置して、町割りをしたことになります。蓋がないのは火事の時に、この水で消火するためなんです。
350年前の芭蕉の辻を、仙台市観光課がVR(バーチャルリアリティ)画像を作りました。高札が見えます。芭蕉の辻の碑についているQRコードで読み出すことができます。

ちなみに、そのQRコードのある看板がコレ。

四ツ谷用水です。名前には本流が四つの沢を超えているからという解釈もありますが、諸説あります。

へくり沢。右手にかつての知事公館があります。
だいぶ埋め立てして住宅地になっていますが、かつてはもっと深い谷だったのでしょう。

土橋通り。北六番丁通りと土橋通りの交差点。
右手には立派な歩道があります、これが50数年前はこうでした。

道の幅員はあまり変わってません。四ツ谷用水第一支流です。この上流が。。。

洗い場です。コンクリートと生垣をCG外すと。

かつての風景はコレです。

街の絵図です。(複製がたまきさんサロンに展示されています。※後述)
御名掛組の屋敷が並んでいます。あまり身分は高くないので、小さな屋敷です。
左は町家(町人の町)です。

この痕跡は、今でもアーケード街の中にあります。
常陽銀行仙台支店前の化粧タイルがヒントです。
真ん中の無地で斜めに横断しているところが四ツ谷用水。手前が武士の町。向こうは町人の町。

400年前も新伝馬町と名掛丁は商店街も町内会も、行ったり来たりしてなかったんですね。境界線が江戸時代のまま。
当時の様子の復元したイラストはこんな感じです。

張り巡らされた水路を地図に落とし込むと、こんな感じ。
総延長が40キロと言われてましたが、最近の調査で測ると60キロもあったそうです。町中に広瀬川の水が流れている感じです。
町家のある場所は、火事の備えで特に水路が細かいのです。

流れた水は、手掘りの堀なので地下に沁みます。これが地下水の元になります。
岩盤の上に砂礫層があるので、地下に巨大なダムがある感じです。
なので、どこを掘っても5〜6メートルで水が出ます。
明治20年代の統計で、5600もの井戸があったそうです。

城下町仙台の特徴です。西北が高くて南東が低い。自然の傾斜で水が自然に流下する、水が得られないという欠点を補っても余りある利点があります。
都市生活は、上水は大事ですが排水はもっと大切です。
政宗公は、ひな壇地形をうまく使って町を築いたのです。

ここで、ちょっと営業の話を。
元禄の地図を現代の地図と合わせて見る本です。絶賛発売中です。

安政の絵図を、ぜんぶ活字に置き換えた地図も売ってます。

さいごに。政宗公の歌です。
「入そめて 国ゆたかなるみきりとや 千代とかきらし せんたいのまつ」
政宗公が開く前は「千代」と呼ばれていた土地を、仙人の高台に直したそうです。

ということで、第一部の講演は終了です。ありがとうございました。

では、第二部のフォーラムです。
はじめにNPO法人 水環境ネット東北から活動紹介です。

親子バスツアー。一般向けのバスツアーの開催。
土木学会選奨土木遺産の案内板の設置。歩く会の開催などを行いました。
八幡から東北大医学部へのコースなどが代表的で人気がありますが、ほかにも勾当台からスタートして地形の傾きを確認しながら歩く街中編も開催しています。

仙台市の水道記念館には「仙台市の水道のあゆみ」ゾーンというのがありまして、リニューアルの時に四ツ谷用水の展示をしています。
また、片平市民センターでは模型のプロジェクションマッピングを展示しています。

また。。。。VRで、四ツ谷用水を見られる。。。。解りにくいですね。(見た方は素晴らしいと)360度。いま立ち上がったばかりでして。。。これは後日ですね。

日本には大藩と呼ばれるものがあり、仙台もとても有力な藩だったのですが、経済力を基盤にして大変な水路を作ったのが仙台だなと。
土木技術の計算でも、あの時代によく作ったなと。他の藩でも水路を作ったところはあるけど、仙台は頭抜けている。60キロにも及ぶ水路を作ったのは、経済力、設計力、力があるのだなと。

これが明治維新になると、当時の県令(知事)は通行の邪魔になると。。。埋めてしまった。裏に移して、側溝も作ったけど、それがうまくいかなかった。
なので、下水整備となってしまったのです。

町歩きをもう、15年ぐらいしていますが。参加者の方と話をすると「広瀬川の川面はずっと低いとこにありますね」と質問が出ます。中流域に町を拓き、上流から水を引いてきて、これだけ広い町を潤したことは凄いことだと感じている次第です。

ここで質問です。
「全国の城下町を見て、四ツ谷用水の位置付けというのは、どのようなものでしょう?」

通常の城下町は海沿いにできるのですが、仙台は川の中流域にできています。
海運とか考えると海沿いの河口とかが便利なんですが、両側が崖に囲まれた立地が極めて特異なところに作られたので、用水が作られたということになります。
用水は結果的に作られたということで、他の城下町はここまで苦労しなくても水が得られたと思います。

フォーラムの内容って。。。4名のパネラーが出てきて、それぞれお話がありまして。。。さすがに紹介しきれないので。。。是非ともみなさん。次回は足を運んでくださいね。

ページの上の方にある「仙台城下絵図」など、資料の複製も展示されてました。ではでは!

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