四ツ谷用水フォーラム開催で今回は歴史資料の大切さも学ぼう!

DSC_0153

四ツ谷用水フォーラム!って、昨年はシルバーセンター開催でしたね。あの日は寒くってねぇ〜雪も降って。だけど今年は晴れ!そして会場は東北大学の大講義室です。大きなイベントになりましたね〜さらにさらに。サロン開設以来、東北大学との連携も密になってて、今年のフォーラムには咋春に歴史資料を読み解く講座で大好評だった佐藤大介先生(東北大学災害科学国際研究所 准教授)も登場です!あらら大変なことになりそうな予感の四ツ谷用水フォーラムのはじまりはじまり。


DSC_0014

まずは主催の仙台市より挨拶。
「ブラタモリ」の放映以来大好評です四ツ谷用水フォーラム。主催者を代表してご挨拶申し上げます。
仙台を300年にわたって支え続けた四ツ谷用水も、昨年にはとうとう土木学会選奨土木遺産として登録され、ますますその大切さが推し量られるようになりました。広瀬川の段丘を巧みに利用して築かれた用水を、広く後世に残していくためにも、フォーラムなどを通じて活発に活動を行う大切さを感じております。


DSC_0017

今年は東北大学との連携で大きな講堂も利用でき、さらにサロンではパネル展も開催と、規模を大きくしての開催です。そして今回の遺産登録に多くの資料をまとめてくださった柴田さんの講演ありと、1日楽しく学んでいただこうと思います。


DSC_0019

では、仙台・水の文化史研究会の柴田さんの登壇です。


DSC_0022

こんにちは。今回はあえて、「つくろう水環境豊かな街を!〜四ツ谷用水を生かそう〜」と過大なタイトルを選んでみました。


DSC_0028

四ツ谷用水は、土木遺産に登録ということで、仙台市民にとっても大きな遺産となりました。ただ、登録に際して、目に見えないものの登録というのは非常に審査を通すのが難しいという難題もありました。これを工学的調査に基づいて総合評価に結びつけたということは、ひとえに先輩諸氏の努力が引き継がれた結果と感じております。


DSC_0033

こちらの絵をご覧ください。明治後期の武家屋敷です。
場所は現在の五橋のあたりで、今ですと屋敷の前に仙台駅に向かう大きな通りがあります。


DSC_0037

そして後年に仙台駅から北側を望んだ写真がその下です。大きな屋敷林が朗々と残っているのは杜の都の象徴であり、伊達政宗の作り出した豊かな仙台であります。


DSC_0038

こちらは史料に残る遺跡の場所を調べたものです。南北に続くのは利府・長町断層帯で、その周辺に古代の遺跡があることがわかります。


DSC_0043

仙台の街は、伊達政宗の開府以来、4期にわたって築城されています。
オレンジ/開府当時
ブルー/寛永年間
オレンジ斜線/正保・寛文
ブルー斜線/延寳年間


DSC_0047

こちらは仙台城。城郭の外側に水源があり、城下は台地の上に築かれました。


DSC_0050

現在の県庁所在地の標高を比べたものがこちらです。他都市の大半の県庁所在地は標高10メートルほどの沖積層の上にあります。


DSC_0057

仙台の街は40メートルもある洪積層の上にあります。
広瀬川が作り出した河岸段丘の上にあるのです。


DSC_0059

仙台の地下構造を断面にしたものです。
堅く水を通さない岩の上に、水を通す堆積層が広がっています。そして、この右の山になった部分は地面が押されて盛り上がった背斜軸です。
この背斜軸のおかげで、地下に水を貯めるダムのような構造が出来上がっています。


DSC_0062

この背斜軸の青葉山側に広がる礫層は、体積の40%もの水を蓄えることができます。
この構造へ水を供給したのが四ツ谷用水となります。
(この内容は河北新報にて広く伝えられた)


DSC_0077

そんな折、河北新報社は主張しました。
震災から6年を経てグローバリズムの問題が身近な現象として現れており、覚悟を具体的に実行する段が来たと。
「次世代へ東北提案 成長重視のグローバル競争と一線を画し、定住社会の実現を目指す 人、物、財が域内を活発に循環する社会」
と主張しています。


DSC_0078

そこで、水の文化史研究会は提案します。
物質的ではなく暮らしが豊かになるためにも、水資源を再度仙台の街に実現させよう。そのためにも、低下してしまった地下水位を四ツ谷用水の水を西公園に水路を作ることで回復させ、緑豊かな街を復活させよう。


DSC_0081

ただし、これの実現には行政だけに要請してはダメです。
かつての四ツ谷用水が藩と町方と村民が一体となって維持したように、いまは行政と企業と市民が協働して、水資源の復活に取り組まなくてはいけないのです。
柴田さん、ありがとうございました。


DSC_0091

続いて佐藤大介先生の講座です。え!大介先生、プロジェクター使わないの?


DSC_0097

ぼく、ここで講義もやっているんですけど、小さな文字の歴史資料ではスクリーンでほぼ見えないのは重々承知なので、大事なところは説明しますね。
なるほど!


DSC_0100
そして蕃山房から本も出版されたとか。本日会場限り送料無料で受け付けてますって、こちらは宣伝です。

よみがえるふるさとの歴史12 宮城県石巻市北上川河口域
大災害からの再生と協働 丸山佐々木家の貯穀蔵建設と塩田開発
佐藤大介


DSC_0103

相変わらずユニークですが、内容は濃いよ。
仙台市。伊達藩から受け継がれてきた大量の歴史資料が一気に失われました。それは。。。仙台の大空襲です。これはまさしく大ピンチでした。藩庁の記録の大半は一箇所にまとめて所蔵していたので、全部燃えてしまいました。
また、そのほかにも旧家にはたくさんの資料が残されていたのですが、こちらは華族が解体とともに没落してしまい、そうなると和紙というのは高く売れたんですね。このようにして歴史資料はどんどん無くなってしまうのです。


DSC_0108

例えば古文書などは、所在を記録していたものを後年に照合すると20年で30%が失くなってしまう。大まかには当主がなくなって、何だか判らないものが箱ごとあるから、捨ててしまえといったものです。
また近年では日本国内で大震災も続けて発生しており、史料が失われる要因となっています。
これを国内の研究者でどうにかしようと各地で生まれたのが歴史資料保全情報ネットワーク(現/歴史資料ネットワーク)です。もっとも最初に活動したのは20余年前の阪神淡路大震災です。


DSC_0111

各地で活動を始めた史料ネット。宮城県では2003年の宮城県北部連続地震の際に結成されました。


DSC_0112

こちら。当時の写真です。


DSC_0118

これも一回では史料の救出は終わらず、研究者が年を換え、複数回通って撮影し、整理し、データに残したのちにまた土蔵に戻しています。


DSC_0120

12000点もの古文書を記録し、どこにあるのかを分類したのちに、もう一回土蔵に入れたのですね。


DSC_0122

そして忘れてはいけないのが東北沿岸を津波が襲った東日本大震災です。


DSC_0121

せっかく史料の残されていた土蔵も、津波で被災しています。


DSC_0125

ただし、事前に古文書をデータ化していたので画像情報はこのように残っています。


DSC_0128

震災以降、宮城県内では沿岸部での資料のレスキュー活動が実施されています。ただ、まだまだ先は長いという。


DSC_0129

こちらは石巻市の門脇・本間家所蔵資料をレスキューした時の様子です。


DSC_0130
私たちが史料を記録した土蔵も津波にのまれ、中に入っていた史料は海水に浸ってしまいました。ですがダンボール50箱あまりの歴史資料を救出しました。
今でも復旧作業が続き、まだ目処が立っていません。


DSC_0132

津波で被災した、本間家の土蔵です。
もう、周りは流れてきた家がぶつかったりと壊滅状態でしたが、土蔵は立っていました。


DSC_0133

それどころか、構造を専門家に調査してもらったら、全く問題なしということで土蔵の救済プロジェクトが発足しました。震災遺構として残すことにしたのですね。


DSC_0134

震災前からのものが残っていると、そこに人の意思が残るというものなんですね。この土蔵が地域の活動拠点として再度注目を集めるようになり、結婚式も開かれました。


DSC_0135

土蔵は地域の結びつきも復活させ、次第にアンティークではないかというな古物も集まるようになりました。
この土蔵には古いレコードがあったのですが、ならばウチにあるこれを活用してと古い蓄音機が集まるようになり、博物館なら展示用に一つしか残さないのですが、この土蔵には4個も集まりました。
また、地域資料もぞくぞくと集まり、今では資料館に。


DSC_0136

そして土蔵のすぐそばには地域を結びつける直売所もできました。
こうなると、残された土蔵は街のイメージにどれだけ寄与したかわかりません。


DSC_0144

なるほどですね。地域に残る記憶は、人を呼び寄せる。時代は全部壊して作り変えることばかりしていますけど、街の記憶の片鱗を平時に記録しておくことで後世に人と社会が結びついたりと、大切な役目があるんですね。

では、ここからは席を用意して質疑応答コーナーです。


DSC_0141

コーディネーターは水・環境ネットの江成さんにお願いしています。
ただいまの仙台市内の湧水の現状とは、どのような状況なのでしょうか?


DSC_0153

そうですね。かつては仙台市内にも多くの湧水から水が湧き出し、井戸を掘るとヒシャクで水がすくえたほど豊かな水量があったのですが、今はほとんど枯渇してしまい、例えばブラタモリで紹介された、いろは横丁の鰻屋さんの使っていた井戸も地下7メートルぐらいから、ほんのチョロチョロと汲み上げている程度なんです。


DSC_0156

ですが、せっかく優れた地下構造を持つ街なので、できることなら四ツ谷用水の水を利用して広瀬川の水を地下に浸透させたい。それには水利権の問題もあるので、大変な覚悟をして市民全体でこの財産を活用するよう意識を変えないといけない。ですが、緑豊かな街は未来永劫残る子供達に受け継がせる財産なのです。


DSC_0170

私たちは今度移転になる北六番丁の農学部の横にある四ツ谷用水の遺構を、歩道の公開空地を利用して再現できないかと考えています。桜川の水を分水できないかと活動していて、四ツ谷用水という歴史を残したいと考えています。


DSC_0189

先ほどの土蔵の一件でもそうでしたが、現物があるから人は繋がるのです。よくいうのですが「記憶を失った人は記憶を失う前と違っている」たとえばこうやって人が集まる場があるならば、その内容を決定力のある人に伝えていくということも考えないといけないんです。


DSC_0194

大規模な開発で屋敷跡が消失して無味乾燥な都市公園になってしまう。そうして街の記憶は失われてしまうのです。いまこうやって都市の記憶が失われる前に、保存の活動が大切なんです。


DSC_0200

いやぁ〜お疲れ様でした。本日の感想?大介先生がねぇ〜最初のうちは歴史資料の保存活動が研究者の出前で支えられてて本格的でないと渋そうに話していたのが、どんどん熱量が上がっていったのが聞いてて面白かったですね。のちのちサロンにて「ここって歴史の活動に場所を使えるのですか?」って、ええもちろんです。
どんどん面白い先生のネットワークができて来ました。じゃね。

カテゴリー: 取材, 環境, 環境講座, イベント, たまきさんブログ パーマリンク