疎水の歴史保全・継承のための地域交流シンポジウム「仙台市沿岸部にメダカは復活できるのか」に参加しました。

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今日のブログはコチラ。ものすごく小さいメダカが主人公です。メダカって昔はどこにでもいた魚なんだけど、近年では環境の変化で生息数は激減して、今では環境省の発行するレッドデータブックに掲載され絶滅危惧種にも指定されていますね。仙台平野のメダカと私たちの環境について—疏水の歴史保全・継承のための地域交流シンポジウム「仙台市沿岸部にメダカは復活できるのか」—が開催されましたので、そのあらましを紹介します。


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会場は仙台市市民活動サポートセンターのシアターです。
はじめに開会の挨拶から。ご挨拶は八木山動物園の前園長であり、農薬を使用しないで、メダカの暮らせる環境を維持して米を栽培するモデル生産者でもある遠藤源一郎さんです。


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みなさんお忙しい中お集まりいただきまして、感謝します。
疎水とは辞書を引きますと、灌漑等のため、新たに土地を開いて水路を設け、通水することと書かれています。
仙台では、江戸時代より、広瀬川から水をひいた四ツ谷用水が有名ですが、現在も東部農地に六郷堀や七郷堀を介して水を供給してきました。
東部の沿岸部では、2011年3月11日の東日本大震災の大津波で水路が大きな被害を受け、復旧工事が完了するまで干上がったため、水生生物は死滅してしまいました。



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ところが、震災前にもメダカの生息域が減少しているということで宮城教育大学の棟方先生の研究室で2010年に研究目的でメダカが採取されており、研究室で育てられていました。



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もともとメダカは仙台平野の疎水域には広く分布していたのですが、田畑などの環境の変化や農薬の影響などを受けて2010年の時点でも生息域は数カ所しか確認できていませんでした。
では、何故メダカを保護するのか?
メダカというのは私たちの心象に訴えかける、ふるさとの象徴のような存在だからです。
そのメダカをシンボルとして、生物の多様性を取り戻したい。それが、この活動の原点なのです。
それでは、シンポジウム前半の話題提供としてお二方からスライド上映を行っていただきます。
まずは先ほどのメダカを研究のために飼育されていた宮城教育大学准教授の棟方有宗先生です。

「震災と井土のメダカ」
おそらく、仙台の沿岸部は歴史上なんども津波の被害にあい、メダカたちの暮らす環境もなんども復活してきていると思われます。


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もともとはメダカは広瀬川に生息していたものが、用水路に移り住んできたものが、写真のような堀で暮らしていたと考えられます。
(フォトブック・疏水とともに描く未来、より引用)


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これらは津波による塩害と、その後の圃場整備のための干しあげ、そしてコンクリート製でできた三方を囲まれた水路を作ったために死滅してしまいました。
(フォトブック・疏水とともに描く未来、より引用)

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ですが2010年のメダカを採取した段階でもメダカの個体群は小さいものでした。


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生物は近隣に多くの個体群がいる場合は災害などで一部の個体群が失われた時には、近隣の個体群から補完される形で復活できたのですが


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もともと生息数が減少していたメダカの場合は、すでに自分たちの力だけでは復活ができなくなっており、人の手をかけないと戻ってこないだろうと考えられます。


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そこで、井土地区で野生のメダカを自然に戻す再建候補地には「用水路」「田んぼ」「新たなビオトープ」などが考えられます。特に田んぼでは稲の影などがあると安心して餌も取れるので理想的なのですが、田んぼは稲刈りの時期には水を抜かなければならない。そうなると用水路に降りるしかないのですが


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今の用水路へは水路の落差があるので田んぼとの間を行き来ができない。果たしてこの先メダカをどうやって復活できるのかが、本日の話題になると思われます。
(フォトブック・疏水とともに描く未来、より引用)


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続いてのスライドは「自然とともにあった暮らし-{Re:プロジェクト}取材ノートから」西大立目祥子さんです。
西大立目さんはメダカに関して「私のわかることはほとんどありませんが」とおっしゃいますが、{Re:プロジェクト}取材過程で沿岸部を廻った経験から、メダカが住む暮らしの話ができればとの登壇です。


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写真は取材の際に使用した昭和21年の沿岸部の地図です。田畑や水路は入り組んでいますが、実際の地形と照らし合わせると綺麗に高い場所は集落へ、低い土地は田畑へと使い分けられ、水路は毛細血管のように随所へと行きわたっていました。


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明治の頃の七郷村の七郷堀です。いまとはずいぶん堀の感じが違います。堀は必要に応じて作られ、また消え、水の需要に合わせて方々へと延ばされました。


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慶長の大津波後に塩を被った田畑も、水を通すことで復活してきたのです。
その、集落ごとに小さな田を継いできた田園の風景も、近年の土地区画整備事業ですべて消えました。田畑は効率化のために集約され、真四角の区画が整然と並べられています。


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かつての仙台平野部の堀の様子です。
板割りで補強された水路にはメダカの他に多くの生き物が暮らしていました。


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こちらは長喜城の庄司さんのお宅の屋敷の図面です。イグネを取り囲むように水路が回り、水路をつないで集落もできていました。


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水辺には水を好む榛(ハン)の木が生え、コイ、フナ、蛍、エビなど多様な生き物が暮らしています。
西大立目さんは今回の講座にあわせメダカの学名(ミナミメダカ-Oryzias latipes、キタノメダカ-Oryzias sakaizumii)を調べましたところ、オリザ=稲が入っていることを知りました。メダカは稲と切ってもきれない仲にあるのです。
そんな驚きとともに、メダカの暮らす豊かな多様性が効率化の枠を超え、ここぐらいにはあっても良いのではと感じているそうです。


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スライドの後、しばらくのあいだ休憩時間です。参加者同士で意見を闊達に交換をしています。


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遠藤前園長さんのお宅の田んぼで採れたお米「メダカ米」です。メダカが暮らせる田んぼを維持するには除草剤や農薬が使えません。
ただ、農薬を使わないとカメムシが発生しやすくなる。カメムシは稲穂に着いて生育中のお米から栄養をとります。そしてお米は1000粒にひとつの色付きのお米が混じっても「二等米」へと格下げされてしまいます。
病害虫の発生を抑える方法は、遠くの無農薬農家さんのノウハウなども教わりながらの工夫の賜物だそうです。


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続いて、パネルディスカッションの時間です。
テーマは「メダカは仙台市沿岸部に復活できるのか?」


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ただいま仙台市では、震災を免れたメダカを市民や団体の方に引き取って飼育してもらい、数を増やしてもらうメダカの里親制度を実施、いつか自然環境へ戻す試みがあります。
本日のパネリストの方の中にも実際に育てられている方がいます。まずはじめに「昔は堀でお米を研ぐと、メダカが入っていた」と笑い話のようなお話を教えてくださった加藤さんに、かつての堀の話をしていただければと思います。


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ご紹介を賜りました六郷老人クラブ連合会会長の加藤新一です。
かつて私の地区には18もの池があり、生活の場となっていました。
井戸のある家は潤沢に水が使えましたが、そうでないお宅は米を研ぐ際に池の水を使いました。すると、研いだお米の中にメダカが紛れ込むことがあり、メダカご飯が出来たものです。
かつては池で魚を飼い、急なお客様の時は池の鯉で、あらいや刺身、鯉こくなどを作って出したものです。鯉やフナなどは意識していましたが、メダカなどはその辺にいるもの。意識しない存在でした。

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こちらは小野池の跡です。ここ一帯も水が豊富で、50センチも掘ると水が湧き出してきます。
ここを少し掘って池の形を整えメダカを放してあげればなんて、いまは考えています。


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続いて井土地区のメダカの里親をされている丹野明夫さんです。
メダカをなぜ飼うようになったか?これには震災後に始めた家庭菜園から話し始める必要があります。
津波被害を受けて、一家の畑は誰も耕作しなくなりました。
ちょうど私は定年になったので、何かできるかと使われない畑の瓦礫の片付けから始めて、菜園を作ることにしました。
はじめは全く生き物がいませんでした。それが1年半で、今はミミズにカエル、野鳥、ネズミなど多くの生き物が帰ってきました。
そんな暮らしの中で市政だよりに「メダカの里親」の募集が掲載されているのを見つけ、是非とも復活を手伝いたいと思うようになったのです。
自然は意識しないと解らない。だけど無ければ暮らしが成り立たないものだと思うようになったのです。


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棟方先生から。
昔の堀は地面を掘って出来ていたので、生き物が暮らしやすい環境ができていました。
ところが整備の終わった堀は、コンクリートの三面張で出来ています。これではメダカが思うように餌も取れませんし、卵を産んだり冬を越したりすることが出来ません。むしろ田んぼの方こそがメダカの生育には適しているのですが、どうしても田んぼは水を抜く時期がある。これが課題となっています。


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遠藤さん。
私の田では、メダカを放して育てています。田んぼには米糠を撒いてミジンコを発生させ、メダカの餌になるようにしてあります。


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写真は震災から復旧した頃の田んぼと、その頃に庭に作ったメダカの池です。
田んぼでメダカを育てるにしても、時期によっては池に入れてあげる時期が必要です。
(フォトブック・疏水とともに描く未来、より引用)


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実際に田んぼの環境は生物が豊かで、ミジンコが煙のようにたくさん発生しています。
ただ、稲の生育には病害虫への配慮も大切で、特にご近所さんとのコミュニケーションで、無農薬米への理解を伝えます。そうでないと、近所の農家さんも虫の発生に不安を覚えるのです。
(フォトブック・疏水とともに描く未来、より引用)


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池に咲いた蓮の花ですね。
こうやって除草剤も使わずに育てた稲は茎の色も違いました。
もともと稲は風に強くするために生育中に水を抜いて根を強く張らせるのですが、メダカを育てているとそれが出来ません。なのでご近所さんには「大丈夫なのか?」といった疑問も沸きましたが、とりあえず昨年は問題なく、お米も無事に収穫できました。
では、今日の会場にも里親をされている方が来場されているので、少しお話しを聞いてみましょう。
(フォトブック・疏水とともに描く未来、より引用)


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六郷市民センターの高橋です。子供の頃は兄貴にメダカを獲りに行こうと誘われたものです。
メダカの飼育は思いのほか手をかけないほうが順調に行くとのことで、市民センターでは果たして育てられるのかと職員もいぶかったものですが、順調に増えてくれてます。ただ、卵は放っておくと成魚に食べられてしまうことがあるので、産んだら分けておく必要がありました。
メダカなど、いったん繁殖地でグ〜っと力の落ちてしまったものを元に戻すのは大変に難しいとは感じています。


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私のところではメダカを学校の理科室で飼っていました。
いざ夏休みということで、一旦全部さらって自宅に連れて帰ったつもりだったんですが、水草に卵が残っていたのですね。いつのまにか居なかったはずの水槽にメダカが増えていました。いまでは2箇所で飼育をすることになりました。


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生き物というのは、しかるべき環境を整えると増えてくるものなのです。と、棟方先生。
私は生物学者なので、宮城がメダカのレッドデータブックで赤く塗られてしまうのは避けたいと思い、遠藤先生と相談しメダカを地域で飼うことにしました。メダカが暮らせるぐらい良い環境こそが、私たちの暮らしの安定要素の一つでもあるのです。
それにはとおり一辺倒な復興ではなく、多様性こそが可能性の元になると感じています。


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大立目さんから、シンポジウムの纏めの言葉です。
400年ものあいだ培われてきた堀の景色が消えゆこうとしています。ただ、失われようとしていることに、とても心配をしています。
私たちがメダカを育てることでメダカに力をもらう。仙台市沿岸部からメダカを失くしてしまってはいけないと願いながら、このシンポジウムを締めようと思います。


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皆様。ご苦労様でした。
そして、2月14日(土)にはメダカの里親募集のイベントも開催されます。ただ。。。もう満員だそうで、来年に期待ですね。
では!

「メダカを育ててみよう!!」定員30名
会場/仙台市八木山動物公園 ビジターセンター研修室
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※イベントは定員に達しました。
週末のイベントは好評のうちに定員の30組を大幅に超過しましたので、応募を締め切りました。
来年度以降も年に1,2回、夏と冬に募集を行う予定です。募集の告知は市政だよりなどでお知らせします。

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