四ツ谷用水の、街中のことを想う。。。初開催の街中編。

え〜本日紹介しますのは、このブログでもたびたびレポートしてきました「四ツ谷用水歩く会」です。
でも、今回は初の開催となります街中編で、何が特別かと言いますと、これまで紹介して来た散策には、今でも水が流れたり、または用水に下りる階段だったりと「遺構」が随処に見られたのです。
ところが!本日の旅ではまったくの街中を歩くので、当時のものが残っていない中での散策となるのです。
果たしてどうなるのやら?お楽しみに〜。


さっそく「仙台・水の文化史研究会」の代表 柴田さんからの挨拶です。
「本日のイベントでは、四ツ谷用水の痕跡の残っていない中、街中をご紹介できるということで、私自身ワクワクしております。日頃は意識しない馴染みの街を、五感を研ぎ澄ませて歩き、是非とも第六感も働かせてください。」


そして仙台市。実にうまい傾斜に街が作られているので、水を八幡の方から流すと、自然に〜ちょうど良いスピードで海岸方面に流れていくそうです。その傾斜は平均4〜5パーミリということで。。。この数値は後ほど出てきますぞ〜。

そして本日の集合地点ですが、ここは勾当台公園の市役所そば、バス停脇の「古図広場」と呼ばれる場所です。
ここは仙台市の開府400年の事業で作られた広場なんですね。知らなかったか?っと言うと、実は僕は知ってました。
この場所って、子供を連れてくると大喜びでアチコチ潜って歩く場所なので、親子連れには御馴染みなんですよ。


続いて副会長の武地さん。
「え〜本日。皆さんには簡易的に水路の傾斜を測ってもらうために、歩幅を使ってもらいます。
だいたい自分の足で歩く時に、一歩が何センチあるのか?を、実際に5メートルを歩いて、計算してみましょう。」
・・・・・しかし、この年代の人がハンドスピーカー持ってると、なんだか馴染むなぁ〜って昔から不思議に思ってました。脱線だけど。


「では、5メートルの印のところで歩きますよ。
1・2・3・4・5・6・7・・・・はい。だいたい平均で男の人は7歩から8歩でしょう!」
ヤベ!僕、身長が皆さんより10センチ以上高いはずなのに、7.5歩だよ。


では!歩き出しますよ。
そしてすぐではありますが、地下鉄勾当台の駅のそば。
「ここから県庁方面を観てください。少〜し高くなっているでしょう。
四ッ谷用水は市内の高いところから低いところへ向かって、河岸段丘のすぐ横を沿うように流れていきます。
ちょうど県庁の辺りからは、今の噴水の脇を抜けていたんです。だから、今でも勾当台公園の奥側は、小高く盛りあがっているんですね。」
なるほどね〜。このへんが、上町段丘から、中町段丘へ至る落差だそうです。


では、定禅寺通りを国分町通り経由で大町方面へ向かいます。
勾当台は標高が45.1メートルありますが、大町では39メートルとなりますので、この区間で6メートルも下がることになります。
ちなみに、ただ今歩いている市街地は、四ツ谷用水からの水が浸透し地面の下の礫層に満々と水がたたえられ、江戸時代は浅井戸でも充分に水が汲め、庶民の暮らしに使用されていました。


だけど、ただ今の仙台市内は舗装により水がしみ込むことが少なくなったので、地下水位は下がり続け、現代の数値は地下6メートルにもなっています。そうなりますと、困るのはケヤキの木。この木は保存樹林に指定されていますので、水が無いからって放っておくことも出来ない。


なので、道路に灌水孔が作られ、渇水時などは注水してあげているという。。。。何とも悲しい話です。


国分町通りの入口までやってきました。
ここは、旧奥州街道となります。江戸からやって来た道は、仙台開府前はもう少し海側を通っていたのですが整備の時に、この位置に付け替えられました。


この道のまん中には、かつては四ツ谷用水が「町中掘」として、流れていました。
今では、道のまん中を車が走っていますね。。。。しかも下流から上流に向かって走っています。
昔の視線から見ると、なんか変だなぁ〜。


奥州街道の幅は、市内では4間(7メートル)でした。昔は主要な街道でも7メートルで充分だったのですね。
みんなで渡ってみました。もちろん歩数も数えながらです。


ここ。国分町通りって、歩いていると不思議なことに気がつくんです。
通りを南方向に歩いていくと、向かって右手、青葉山方向は。。。。下り坂。


今向かっている大町方向も下り坂。
そして、左手アーケード側も下り坂なんです。
これは何を意味しているかと言えば、四ツ谷用水は、山で言うところの尾根沿いに流れているんですね。
出来るだけ遠くまで水を送ろうとするなら、ストンと落ちる急坂は使わない方がいい。
なので、小さいながら掘りは稜線の上を流れていき、その掘りに沿って奥州街道は延びている訳です。


芭蕉の辻にやってきました。
何故芭蕉なのか???は、諸説色々あるので、今はパス。
そしてここは、仙台の町の中心です。
右手仙台城大手門方向には、藩からのお達しなどが掲示された高札が立てられていました。
そしてこの辻周辺には、ずっと政宗候と一緒に移動してきた豪商が軒を並べたということで、大変に栄えた場所でした。


ちなみにここ国分町は、以前にこの一帯を支配していた国分氏から名前をもらったとか。
そしてこの場所には、仙台最初の水道も引かれました。
竹の管に杉の皮を巻き、水漏れを防いだ水道管で近隣の19戸にお水を引いたそうです。なぜ?地下水を使わなかったかって?
ここ国分町一帯は地下構造の礫層が適当ではないため、水質があまり良くなかったからではないかと推定されます。


こちらは、現在の芭蕉の辻と、今回のパンフにも使われましたが、当時を思わせる絵の複写です。
(原本は、戦災復興記念館にあります。)


なるほどですね。
四つの辻に大きな重層の櫓が建ち並び、屋根の上には龍の飾り物があります。
「鹿鳴き、萩が咲き乱れる未開の地」と呼ばれた仙台平野が、都市計画のもと、一気に大都市へと変貌したのですね。


こちらは。。。。ただ今覗いているのは、地面がどの程度傾斜があるのかを見るための、水準器です。


大町のアーケードの交差点になって、南方向を眺めてみました。
確かにここは少し下って見えるよなぁ〜って思ってましたが。


「凄い!人の頭のあたりに、今立っている地面があるんだ。」<<<これ覗いた人の感想。写真では見えてませんが。
そうなんですか!そんなに下がっていたとは思いませんでした。
用水は芭蕉の辻で交差し、東方面。。。現在の駅方面に向かいます。


アーケードのまん中。
新伝馬町までやってきました。
まったくもう当時の面影はありませんが、このアーケードのど真ん中を用水が流れていたと思ってください。


では、ここで簡単な傾斜の実験を行います。
デジタルカメラを三脚に据えまして、まずは水準器を使ってカメラの水平を出します。


デジタルカメラの液晶にも水平の線が引いてあります。
ということは、このカメラのレンズの指す方向、線の上の目印は、このデジタルカメラと同じ標高にあるということですね。


だとしたら、ここから自分が決めた目印までの距離を歩いて計算して、地面からの各々の高さの差を計測すると、何メートル進んで何メートル下がるか?地面の勾配が出る訳なんです。さぁ〜やって見よう。
カメラの高さは、1メートル23センチだな。


そして目標までの歩数は39歩。目標のビルの外壁のマークは、1メートル90センチでした。


では。これが計算式。
僕の歩幅はおおよそ66センチだったから、(190-123)÷66×39となるわけです。さぁ〜てどうなるでしょう?答えはもうチョイあと。


なんて言ってる間に、AERまでやってきましたよ。
もちろんここは、今は街の中心になっているけど、かつては街外れです。


そして、このAERの足元には四ツ谷用水をイメージして作った水路があります。
かつては市内にこのように水が流れていたのですね。このあとの感想会でも発言があったのですが、水路が残っていれば郡上八幡などの名水の町のように「水の都」として宣伝できたのになぁと。


水路の脇にプレートが飾られていました。
もう一つの広瀬川。佐藤昭典先生の書籍の紹介も書かれています。



ということで、本日の街中編の散策は、これにて終了。
名掛町から大町方面を望みます。ほんとうに、ゆるゆるとした勾配が続きますね。今の仙台の街並も400年前の都市計画に沿って作られている訳です。


本日のセミナーは昼食以降のプログラムは中央市民センターで行う都合、駅の東口に出てきました。すると宮城野大通り沿いにも水路がありました。
こちらのお水は地下鉄工事の際に溢れ出る地下水が使用されている(らしい)とのこと。
ここの水は循環して流しているそうですが。。。。こうやって水が流れているのを見ているだけで、心が和むものです。


中央市民センターに登ってきました。
ブログだと、あっという間に登ってきて、あっという間に昼食を終えました。最速ですね。
このあとは柴田さんの四ツ谷用水にまつわる講演です。


書き出すと。。。。キリがありませんので重要なポイントを幾つか。
3.11震災の時の大津波で、100万人都市の生活排水の7割を処理していた南蒲生の浄化センターは壊滅しました。壊滅???まったく機能を失ってしまったそうです。
そして市内の長期にわたる大停電。普通の都市では電気で稼働するポンプが止まってしまうと下水は途中で流れが滞り、街中にマンホールからの汚水があふれるそうです。
だけど、仙台市内では震災後も排水に関するトラブルは無かった。なぜか?


仙台市は街の中心部が台地の上にあり、生活排水は自然流下のまま、蒲生の浄化センターまで重力の力で落ちてきている。
震災後の仙台では浄化センターの排水門を強制的に開放するだけで、排水を市内に溢れ出させることなく済んだそうです。これは、先人の都市設計が優れていたから。(環境に悪いって??いやいや。汚水漏れを起こすと伝染病が蔓延したり大変なんです)
・・・・・・東京大阪名古屋に福岡。日本の主な大都市は海抜10メートルなど、低いところにあるのに。。。。仙台は高台にあったために、難を逃れたのですね。


仙台市の地下の砂礫層についてですが、中ノ瀬橋から少し上流側に行った辺りの崖に、台地の地層が見られるそうです。
雨が続いた時などは、この砂礫層から水が滲み出てくるのも見られるとか。


さてさて。さっきの傾斜の計算をしてみよう。
ケータイの計算機でパチパチパチ(古いって?)え??
2.576なんてなっているのは、100メートルあたりの下降率を出したからなんだけど、でも25パーミリになっちゃう???
さてナゼでしょう〜?柴田さんと謎解きをしていて、閃くものがあった!



もう一回この写真を見てみると、ヒントが残されている。
「あ〜!!!歩道の中心にカメラを据えているよ」
歩道は水を側溝に落とすために、まん中が30センチぐらい盛りあがっているんですね。だからカメラを据えた場所も、少し高いのでした。
次回からは、道の両端から計測しないとダメだなこりゃ。


そして最後のさいご。
地図を広げて本日気がついたことを付箋にして貼付けてみよう。
「国分町の水路が失われて残念」
「過去と近代の調和をもっと掘り下げたい」
「古図広場を、もう少し綺麗に直してあげたい」


最後のさいごの最後。
あの古図広場は宝くじの収益金で作られたそうだとか。
「もう一億ぐらい当てて、綺麗に整備したいなぁ〜」なんて言葉も漏れてきました。
なんとも。
でも、仙台は自然の恵みに恵まれた、素晴らしい都市だと思います。もう何も残っていない用水の痕跡を歩くだけでも、自分の街が違って見えてきますね。

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